高裁で裁判傍聴

今日は霞ヶ関にある東京高等裁判所へ生まれてはじめて裁判の傍聴なるものに出かけた。別に裁判関係者っていうのではなく、ちょっと必要に迫られて・・・である。どうせだったら傍聴券が必要な裁判にしてみたいなと、事前に傍聴整理券の必要な裁判を調べてから行った。行ったら、まず傍聴整理券渡された。そしてあとは時間がきたら傍聴整理券の番号をコンピューター抽選して番号が合格発表みたいにはり出されて、番号があったら傍聴券とひきかえてくれるっていう手順。果たして傍聴券をゲットできるだろうか?ちょっとドキドキしたが、無事とれた。(45枚の傍聴券に51名ということで、まあ落ちるほうが難しかったのだが・・・。)
裁判は殺人等ってことは事前に確認していたけれどあとは全く調べてなくてよくわからなかったけれど裁判はじまってみたら、オウム真理教中川智正の裁判でした。一審では死刑判決でていて、私が傍聴したのは二審の審理だったわけだ。今日は直接被告に尋問する形式ではなくて、被告の関与した事件に関する証人尋問で証言者は林泰男(一審で死刑判決)、新実智光(一審で死刑判決)、あとはオウムの元信者の人。
やはり法廷ってどんなところなのかが気になる。裁判始まってまず思ったのは、よくみる模擬裁判の図と弁護人と検察官の位置が逆じゃんてことで、少し混乱。あとは、裁判ドラマおなじみの光景、たとえば証人の宣誓とか黙秘権の告知とかに痛く満足し、弁護人が検察官の誘導尋問に「異議あり」とか叫ばずに、普通に異議を唱えたことに少しがっかりした。裁判の中身自体は、一般の人にとってはすごく細かいことの証言が続いて、あと実に細かい語句の捕らえ方に関する解釈などがあったりして、正直、劇的な裁判ドラマのような盛り上がりには欠けているのだが、逆に裁判本来の一つもおろそかにしないで厳しく審理にあたるというようなこだわりが見えて、興味深かった。でも一方でサリン事件から10年以上たってまだ二審かよ!っていうのもまた普通感覚ではないかと・・・。あと、傍聴人にはオウム関係者や被害者関係者、ジャーナリスト、報道関係者に司法研修生とわりとさまざまな人がいて(いやはっきりとはわからなかったけれど待合室で話していた話なんかを漏れ聞いた限りではそんな感じでした。)、世の中にはこういう人たちもいるんだなと思った。
そして本当に月並みな感想なんですが、いまさらながらオウムのあの事件をやっぱり風化させてはならないんじゃないかと思った。裁判にでてくる年代は私の中では遠いものになりつつあったけれど、裁判の傍聴の間に事件そのものに対するいいようもないなんとも奇妙な気持ちを何度か感じた。それに証言者の証言を聞いていてもどこかで文法が少し違っている言葉を聞いているような感じが抜けなかった。なんかそういう感覚は自分の中では風化させてはいけないものなんじゃないかと思いながら、帰途についた。まあこれを機会に執拗に裁判を追いかけるようになれない自分については反省しきりであるが、機会があったらまた裁判を傍聴してみたい。