レ・ミゼラブル

 久しぶりにここに書いています。みたら2年以上たっていました。
自分のブログでもなんだか照れくさいな。

 でも昨日、これも本当に久しぶりに(もしかしたら一年ぶりくらい?)映画館に行って、『レ・ミゼラブル』みたら、なんだかブログに書きたくなった。
レ・ミゼラブル』、正直ミュージカルもみにいったことないし、原作の小説読んだのもはるか遠い昔のことで、筋もあんまり覚えていないし、それほど感銘を受けた小説でもなかったので、特に映画にも興味はなかった。けれども年末、中公新書の『ガロア』を読んでみたら、妙にこの時代のフランスのことを映像でみたくなったのだ。

 そもそもこの『ガロア』がなかなか面白かったのだ。今まで私はガロアのことは悲劇の天才数学者というイメージでしかとらえられなかった。アサハカにもつまらない恋愛沙汰の末の決闘で人生を棒に振った血の気の多い情緒不安定の天才。そんなつくられたイメージに私も長年ハマっていた。(まあだから数学とは無縁の私にとっても気になる人物だったのだけれど。)でもこの本では、ガロアが生きた激動の時代背景が丁寧に描かれていた。特に『レ・ミゼラブル』の蜂起の舞台になった1832年ガロアは亡くなっている。本ではそのあたりの事情も丁寧に描かれていて、過激な共和主義者だったガロアの行き場のなかった事情がなんとなくわかった気がした。
 
 そんなこんなで『レ・ミゼラブル』をみに行ったのだけれど、やっぱり映画をみていてもあんまり小説の筋を思い出せなかった。ヒュー・ジャックマンアン・ハサウェイの演技はなかなかすごかったが、どちらかっていうと本来ならジャン・バルジャンのイメージはラッセル・クロウの方があっていたかもな。エポニーヌ役の歌がうまかった。でもやはり映画で一番面白かったのは、時代背景が実に色濃く反映されていたとこかな。本当にこの時代のフランスは大変だったのだろうな。フランス革命からナポレオンが出てきて、そして王政復古、1830年七月革命、それから1848年の二月革命まで、こんなに政治体制がコロコロと変わった時代も珍しい。特に1830年前後は、ドラクロワの絵でも有名な七月革命があって、でもその結果、ルイ=フィリップのあんまり代わり映えのしない大ブルジャワジーのための政治がはじまり、多分、1832年っていうのはそういう政治に深い幻滅感が漂っていたのだね。
 特にね、映画の中で「バリゲードの向こうに明日がある」って歌うのだけれど、バリゲードはフランスの内乱の時の名物で、なるほどパリって本当にバリゲードを築き安い街だったんだなあと思った。また、パリは壁に囲まれていて壁の向こうに労働者のための街が広がっていたり、産業革命に突入しようとしている、フランスの様子も映画の中の工場の風景からもうかがえる。
 そしてこのパリの様子は、1870年代映画『オペラ座の怪人』の頃にオスマンの改造計画によって大きく変わっていく。バリゲードを築くのに適している小路は破壊されていった。そのことに思索をめぐらせたのが、ベンヤミンの『パサージュ論』ってわけね。

 なんてことをぼんやり考えながら映画をみていた。でも久しぶりの映画館だったので、暗闇の中の映画がまぶしすぎて、目が痛くなった。何だか年取ったな。前は映画4本までは確実にはしごできたのにな。ああこれじゃいかん、いかん。