足利へ

 何とか年度末を切り抜けて、新年度に滑り込んだ。明日からまた多忙の日々です。
4月に入ってここ数日が例年のお休みなので、旅行も最近は大体この時期に計画することが多いです。ちょうど一年前のこの時期はソウルに行ったのですが、今回はゆっくり家の片付けなどもしたくて、近場にしようと思い、四月一日から栃木県の足利に一泊旅行に出かけました。
 足利は昔から色々な意味で行ってみたかったんだよね。有名な「足利学校」もさることながら、足利幕府以前の足利市の本拠地として、昔からちょっと興味を持っていました。といっても多分、鎌倉時代を感じさせるものはそれほど残っていないだろうけれど、街の中をぶらぶら歩くのには最適な規模の街かなと・・・。
 距離的には東京に近いとは思うのだけれど、路線的には乗換えが多くて面倒だったので、新宿から高速バスで佐野まで行き、そこから両毛線にのって足利に向かうというルートにしたんだけれど、出だしから計画不足だらけだった。まず高速バスの乗車票忘れて(でも乗れましたけれど)、化粧道具一式忘れて(足利で買えばいいよねと思った。)、極めつけがバスが佐野は佐野BTっていうのが、駅前じゃなくて、アウトレット近くの郊外だったということに着いてから気づいたのです。結局、佐野BTから佐野駅までずいぶん時間をかけて戻ることになり、列車で行ったら当然乗れたはずの両毛線にものれず、一時間佐野をぶらぶらすることになってしまったのは誤算もよいところ。
 佐野は十年近く前に友人と遊びに来たことがあって、それ以来だったのだけれど、その時は車で来て、厄除け大師の周辺しか歩かなかったので、今回は足利までの両毛線を待ちながら駅の周囲を散策しました。駅前に田中正造の生誕の地の碑があったり、駅前に佐野城址(12年間だけ使用された城らしいが、遺構はそれなりに残っている。)を見れたりしたのが良かった。
 足利に着いて、予約しておいたホテルで荷物を預かってもらい、街の中をぶらぶらしました。足利の居城跡のばんな寺はさすがに大きな寺で世界遺産になれるかどうかは知らないけれどなかなかのものでした。足利学校も近年建物を再現したりしたせいか当時の感じが出ていて良かったです。大正時代の建物も図書館として残っていたし、長い間、教育の中心地だったということがわかります。

 
 足利学校見学後、あいだみつおが通ったという「なかがわ」というところでお昼にそばを食べて(コシが強くておいしかったです。)、午後は市内の割と小さいお寺をめぐりながら歩き回りました。そうやってぶらぶら歩いている時のほうが、鎌倉武士の生活とか北条時政の婿でなぜ足利氏だけが生き残ることが出来たのかとか普段はあまり考えないようなことにも考えが及ぶから不思議なものです。
 夕方になって化粧品を買いたいと思い、コンビニやドラッグストアを探したけれど全然見つからなかった。途中でマツキヨを見つけてやったと思ったけれど、薬しかなかったです。今更ながらマツキヨって薬屋だったことに気づいた。(最後は駅近くでコンビニを見つけましたけれどね。)その途中で渡良瀬川沿いをさまよっていたら、かの森高千里の名曲「渡良瀬橋」の歌碑を見つけてしまいました。渡良瀬橋って本当にあるんだねえ。何となくもっと小さい橋を考えていました。昔、この曲聞いていたら、「ところで彼女がこの街を離れられない事情って何なの?」母に聞かれたことがあったな。一体、どんな事情だったのだろうか?きっと家業が大変だったのかもな、それか寝たきりの家族がいるとか・・・。久しぶりに森高千里の曲について考えてしまいました。

 翌日は、足利の隣の富田にある栗田美術館に行きました。ここは伊万里と鍋島のコレクションで有名らしいです。最近、焼き物が結構好きになってきたので、美術館などに見にいったりするのが楽しみになってきたんだけれど、実はあんまり伊万里とか鍋島は興味もてなくて、何か格調高い感じがちょっとねえって感じでした。(それにしても焼き物が好きになってきたなんて私も年取ったね。)
 でもこの栗田美術館で、いい意味で裏切られました。伊万里っていうのは、海外輸出向けの製品で、その形状からデザインや出来まで、実に千差万別なんだなあということを実感しました。乱製造気味のものもあれば丁寧に作られものもある。また次々と新奇なものを求めて自由奔放にデザインが広がっていくような伸びやかさがあり、見ていて楽しかったです。そして鍋島のすごさに今まで全く気づきませんでした!いやあ、あれはすごいです。元々鍋島藩のためだけの焼き物である鍋島は一般普及品でないせいか、一点一点が最高水準を目指して存在しているという感じで、高台の模様一つとっても手抜きが全くない。素人目にも緊張感が漂っています。そして最高級のものを求めて、デザインとか前衛的で大胆なんですよね。大変面白かったです。 

 この足利滞在の行き帰りはバスで時間があったので、『朝鮮の土となった日本人 浅川巧の生涯』を読んだ。戦前に朝鮮にこんな人がいたということがすごいと思った。というより、いついかなる時代であってもこんな風に生きられる人がいるんだということに驚く。文中の安倍能成の浅川巧に対する言に共感した。安倍能成は戦前に京城帝国大学の哲学科の教授として過ごしながら、結局はそこに根付くことができないことを痛感していた。私自身、旅行をしながらいつも自分自身について思うことは、私が旅行が好きでありながら、旅行者としては失格であるということなのだ。失格というよりは、基本的には旅行下手ってことだね。今回もそう思いました。