村上春樹「意味がなければスイングはない」

今日、ナポレオンとヴェルサイユ展に行きたいという人がいて、案内するために江戸東京博物館に連れて行った。日曜日だけれど結構すいていたのでゆっくりみれてよかった。内容については、まあ私は特にナポレオンの大ファンじゃないのだが、そこそこ楽しめました。教科書でよく見かけるような絵とかあったし、ナポレオンの偉大さがわからくなくなるような変な展示物が結構あって笑った。でも今日私が連れて行った人は、展示を「楽しみたかった」んじゃなくて「わかりたかった」らしい。結果、私は今日一日間違った努力をしてしまったわけで、自分の傲慢さをとくと思い知ることになった。先ほどまで死んでしまいたい気分だった。

そんな気持ちから立ち直れたのは、帰ってきてから村上春樹の『意味がなければスイングはない』を読んだから。村上春樹は大好きな作家なんだけれど、『海辺のカフカ』から特に理由はなく(強いて言えば忙しかったから)全く読んでなかった。しかし最近、『夢のサーフシティー』と『スメルジャコフ対織田信長家臣団』を立て続けに読んだので、その流れでこの本も読んだのだ。音楽に関する評論集みたいなものだったので、軽い気持ちで読み始めたのだけれど、これが非常に面白かった。音楽を言葉にするという不可能性をきちんとふまえた上で(というか音楽と言語の深い溝を熟知しながらもなお)、とてもていねいに音楽を言葉にしている本だった。読んでいる途中に何度も目の前に何かが盛り上がってきて困るほど感動的な本だった。

「僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。」(77ページ)

特に今日みたいな日は、この言葉は痛い。
そういえば、昨日、ZERO7の新譜THE GARDENを買ってきて聴いたとき、そんな気分になったな。