映画「ミュンヘン」

 久しぶりに南大沢で映画を観た。観たのは、前からみたくて前売りチケットだけは買っておいた「ミュンヘン」。スピルバーグ監督の映画で、1972年のミュンヘンオリンピックのテロに対する報復テロについての話。犠牲になったイスラエルの選手のためにアラブ側の首謀者を暗殺していく姿にやはり圧倒される。エリック・バナやその仲間たちが、正義を下す立場から、暗殺を計画的に遂行する使命感や時として高揚感を味わいながら、だんだんとテロがテロを呼ぶ現実に無力感や恐怖感を感じていくという、刻々と変化していく苦悩が細かく描けているのには共感する。当然のことながら、それをみながらこちらもテロがテロを呼んでしまうこの現実世界のありように疑問を感じたりする。そしてとても重い深刻なドラマだと思うわけだ。でも心にのしかかる暗く重い気分になっても、映画のラストに少しだけほんの少しだけ希望を味わうことが出来るかもしれない。
 スピルバーグ特有の非常に重いテーマで、見ごたえはすごくある映画だったのだが、なんだか少し釈然としない映画でもあった。しいていえば全うすぎるという感じがした。先日みた「僕のニューヨークライフ」のウッディ・アレンなんかは映画のなかで「ユダヤ人絶滅計画に対するナチスの罪は深い。たとえそれで人類が滅亡することになってつぐないきれるものではない。(うろ覚えなのでちょっと不正確かも。)」とかサラッと書いていて、観ているこちら側はそれをみて最初笑わせられて、そのあとヒヤッとさせられて、後で実に深遠な問題提起であることに気づかされるんだけれど(正直、このことが最近一番頻繁に考えることの一つだ。)、そういう深遠な問題提起がこの映画には欠けているような気がするのだ。もちろんこの映画のテーマは非常に考えさせられるテーマであるはずなんだけれど、多分、大多数の人々に似たようなある種の感興しか引き起こさないのではないだろうかという意味で全うすぎると思う。同列上には論じられないのかもしれないけれど、「プライベート・ライアン」なんかはすごく多面的なとらえかたができて考えさせられた映画だっただけにちょっと残念であった。
 それにしてもやはりスピルバーグ映画は、なんで脇役陣が地味に豪華なんだ?エリック・バナのドイツのおさななじみ役にモーリッツ・ブライブトロイラン・ローラ・ラン)とか、フランスの仲介役にイヴァン・アタル(フレンチなしあわせのみつけ方)、そしてテロ対象の居所の情報を提供する役にマチュー・アマルリック(そして僕は恋をする)。やっぱスピルバーグ映画っていうことでみんな出てみたいんでしょうか?それから次期ボンド役のダニエル・クレイグ。「シルヴィア」のときは結構よいなと思ったのだけれど、今回みていて果たしてボンド役は彼でいいのか、一抹の不安がよぎった。