優雅な生活が最高の復讐である

 今日は勤務校の文化祭に行った。文化祭は昨日もあったのだが、昨日は体調が悪くて行けなかったので、今日一日で二日分みてまわった。これが結構、大変だった。が、とても楽しかった。毎年思うことだけれど、今の勤務校は思った以上に高水準の出し物が多々あって、そういうものを目にしたときは素直に嬉しくなる。それに卒業生に会って、いろいろ話したりちょっとした同窓会になる雰囲気とかも大好きである。そんな中で今日、生徒に言われた何気ない一言。「大学生までは人生楽しいって感じするけれど、その後でも人生楽しいの?先生の今の人生、楽しい?」って聞かれた。
 まあ、大変答えにくい問いのような気がする。とりあえず毎日それなりに楽しいとは思うけれど、大学生の頃まで感じることができたようなドキドキ感みたいなものは確実に減ってきているような気がする。元々、「〜せねばならない」的発想で何かができないタイプであると自負しているが、でもそうかといって「好きなことしかやらない」とつっぱねる年代でもないような気がする。とすると、どうなんでしょうか?家に帰る道々、いろいろ考えてみたけれど、私が人生についていえることは、今のところ一つだけのようだ。「優雅な生活が最高の復讐である」
 これはスペインのことわざらしい。私は、この言葉をカルヴィン・トムキンスのジェラルド&セーラ・マーフィー夫妻についての本のタイトルとして知った。マーフィー夫妻というのは、20年代のパリでは伝説的な人たちで、パリ在住のさまざまな芸術家と親交があった。(一説には、スコット・フィッツジェラルドの「夜はやさし」のモデルとも言われている。)トムキンスはマーフィー夫妻の大好きだったこの言葉を夫妻についての本のタイトルに使った。そしてこの言葉は、村上春樹の「ねじまき鳥のクロニクル」の中でも大変印象的なシーンにも使われていたっけ。という訳で、私はこの言葉が昔からとっても好きなんだけれど、今日、急に思い出したのは、一昨日みた映画のせいだ。
 一昨日、DVDで「五線譜のラブレター」をみた。コール&リンダ・ポーター夫妻の物語である。20年代のパリで二人は出会い、いろいろな問題に直面しながらも、二人独自の愛の世界を貫くという伝記的ストーリー。正直いうと、例によって例のごとく、映画の中の20年代は全くといっていいほど20年代にみえず、夫婦の描き方ははっきりいって甘いなあってとこ目立つ。けれども、黄金期のMGMが手がけたミュージカルを彷彿とさせる手法やコール・ポーターのナンバー(ANYTHING GOES、NIGHT AND DAYなど)に支えられ、私は、結構好きだなあと思った。そしてもう一つこの映画を私がひいきしたくなる理由が、マーフィー夫妻がポーター夫妻の親友っていう役どころで出ていたこと。マーフィー夫妻は、コール・ポーター夫妻とも仲が良かったんだねと、勝手に納得してニヤニヤして映画をみた。(多分、映画の中のマーフィー夫妻は実物とは全く違っていたんだろうけれど。)