ドイツ映画祭(2)

 今日は先週に引き続き、有楽町へドイツ映画祭を観にいく。最終日の日曜日ってこともあって、今日は、盛況だった。私が観たのは次の2本。

 『幻影』
 ベルリンの施設で暮らすニナは、ある日、自由奔放に生きているトニに出会う。二人は意気投合するが、そこへ娘がベルリンで誘拐されたフランス女性があらわれ、ニナこそ生き別れになった娘だと言う。ニナはその言葉を信じるが・・・。
 ストーリー自体は、結構面白かったのだけれど、どうも最後までそのストーリーに乗り切れていないって感じの映画だった。三人の女性がベルリンをさまよっている雰囲気はあるのだけれど、映像としてはちょっともりあがりに欠けていたかなあ。

 『9日目』
 第二次世界大戦中が舞台。強制収容所で極限状態にあったルクセンブルクの司祭アンリは、ある日、突然、帰郷が許される。しかし故郷に帰ってみると、SSに「一時休暇」であることを告げられ、ルクセンブルクの司教をナチに協力するように説得するように言われる。もし説得できれば、釈放も考えるし、強制収容所の教会関係者の釈放も考えるが、それができなければ、9日後に強制収容所に戻らなければならない。アンリは果たして9日後にどのような決断を下すのか?
 監督はいわずと知れたフォルカー・シュレンドルフ。この監督ってあの「ブリキの太鼓」もそうなんだけれど、骨太なテーマに真正面から挑むんだよね。でも演出はとても細やか。だから声高な叫びにならずにズンと心に響く。
 それに、今日、不意に気づいた。シュレンドルフの「ブリキの太鼓」こそは、私の映画鑑賞生活では結節点になっている作品だ。もし「ブリキの太鼓」がなかったら、今ごろ、私は、ハリウッド大作しかみない生活だったろうなあ。
 

 
 それ以外では、昨日、家で『ブレードランナー』完全版のビデオを観た。長い間、借りっぱなしになっていたのだけれど、やっと観れた。先日みていた最終版とくらべると、やはりかつて見慣れていたのは完全版だってことは納得した。けれど、最終版の方が映像としては視点がしっかりしているかなって思った。デッカードがレプリかどうかという問題は別としても、レイチェルとデッカードのやりとりなんかは最終版の方が好きです。

 あと、昨日、『現象学は思考の原理である』ちくま新書を読了。現象学の問題点の捉えなおしについてわかりやすく書いてあったと思う。