映画 『愛している、愛していない』

 今日は、家で映画『愛している、愛していない』をDVDで観た。主演は『アメリ』『ロング・エンゲージメント』のオドレイ・トトゥ。内容は、一言で言ってしまえば、ストーカー映画。オドレイ・トトゥは思い込みが激しい美大生で、ある医者が自分と恋仲だと勝手に勘違いして、その医者の家庭を滅茶苦茶にするのだ。あのアメリが、こんなことするなんて!って感じの映画だった。(でもあのアメリも結構ストーカーの資質あると思うのだけれど・・・。)ストーカーってこわい。そういう感想しか思いつかない。でも映像としては、そんなにひどくないので、割と最後まで普通に観れてしまった。



 あと、今日は、2冊本を読み終わった。北田暁大の『広告都市・東京』と『嗤う日本のナショナリズム』。北田暁大は、この前に読んだ「東京スタディーズ」にも文章をのせていたし、最近、とにかく社会学的にみた東京論や80年代論がすごく気になっているので、その手の本を集中的に読んでみた。2冊のうち、特に『広告都市・東京』は面白かった。映画「トゥルーマン・ショウ」と広告のあり方を考察しつつ、80年代の渋谷が広告によって目指した戦略と、90年代の変容について分析するという手法が面白かった。80年代の渋谷についての言説は80年代論でもよく見かける。けれど筆者の指摘は、そこにとどまらずに都市をマスメディアする権力をただ否定しても増すばかりである閉塞感を、どのように乗り越えいくかということに対する洞察が鋭くて、その点が興味深かった。
 「広告都市」の方が面白かったのでそのままの勢いで『嗤う日本のナショナリズム』の方も読んだのだが、こちらは論としては、拡散している印象をうけた。一章ごとの論は大変わかりやすいのだが、全体としてのつながりは少し弱い感じがする。特に最初の連合赤軍あたりの章は、ちょっと・・・だった。個人的な興味にしたがえば、80年代の分析が面白かった。特にこの章は『広告都市』をうまく補っている。後、ポスト80年代というかロマン主義的シニズムあたりの分析は、思い当たる節あり(笑)って感じで、楽しめた。

 夜は、職場のメンバーで飲み会だった。意図せずして、夜歩きが続いている今年のゴールデンウィーク。だんだん家族の視線が冷たくなってきている。