ポーツマス条約から100年

 今日、久しぶりに大学に行った。 

 学生時代、非常にお世話になった教授が亡くなったと聞いた。いろいろな思い出がよみがえる。いい思い出ばかりだ。でも先生の御恩に何も報いていない自分が悔しい。

 1号館が取り壊されていた。1号館は、幽霊が出ると噂高い校舎で、学生時代、一度、夜中近くに(やむを得ず)忘れ物を取りに行った時、半泣きになったことを思い出した。
 
 今日、工学部が理工学部に生まれ変わったとかで、ノーベル賞受賞者の小柴先生の講演会があったらしい。しかもその後、中庭で園遊会スタイルで立食パーティーやってた。(食べに行こうとしたら、周りに止められた。でも食べ物が少なかったような気がする。)

 山本有三の勉強会(私は山本有三研究者ではないけれど、たまたま入っている。)にほぼ二年ぶりに出席した。なんで研究会に出たかというと、外交資料館の吉村先生が話されると聞いたからだ。吉村先生は、昔、『ポーツマスの旗』というドラマ(吉村昭が原作)でポーツマス条約について解説していた。今考えると、『ポーツマスの旗』は原作はすごいよかったのだが、ドラマは少しいい加減だった。けれども私にとっては、近代日本史、外交史、国際関係史とかに興味をもつきっかけになった重要な作品だ。
 司馬遼太郎は『坂の上の雲』で日露戦争を日本の近代史の転機であったという視点で描いているけれど、確かにポーツマス条約もそうなんですね。日露戦争以降、日露関係も日米関係も大きく変わっていったし、韓国や満州地方に関する日本の態度もほぼ決定づけられた。さらにもっと細かくポーツマスの講和会議を追っていくと、メディアが世論操作をする重要性やその方法とか日米移民史、宮廷外交のありかたみたいなものまで見えてきて、とにかく面白いのだ。
 そんな訳でドラマを見て以来、吉村先生には会ってみたいと思っていたが、今日、会えてお話できて、嬉しかった。奇しくも、今年は、日露戦争終結から100年、もちろんポーツマス条約締結からも100年。9月にポーツマスに行けたらなあと最近思う。

 夜、研究会の仲間と久しぶりに飲み会。いつもながら変な話題ばかりで盛り上がったけれど、楽しかった。