エドワード・ケアリー 『望楼館追想』

 
 
 今日は、終業式。今年度もやっと仕事が終わった。仕事の帰り、立川のHMVによってCDを購入。先日、大量にCDを聞いてから気に入っているmouse on marsの去年出た最新アルバムradical connecterとDovesの最新アルバム some citiesをとうとう手に入れた。聴くのが楽しみである。

 夕方からは、仕事納めみたいな会があった。今年度は、やめる人が多かったので、開会から乾杯の合図まで、あいさつだけでも一時間以上かかった。その結果、会の終了時間は30分延長。会の中で、ビンゴ大会があったのだけれど、なぜかたこやき器があたった。重くて、家まで持って帰るのが大変だった。

 家に帰ってから、読書。エドワード・ケアリーの『望楼館追想』を読み終えた。望楼館という奇妙なアパートに住む風変わりな人々の物語である。主人公のフランシス・オームはいつも白い手袋をはめて、外面と内面における不動性を保つことを至上命令にしながら(要するに人とかかわらないようにすることなんだけれど)生活している。この人物は、外見や生活も変わっているけど、他人の愛したものを収集する癖があって、それをアパートの地下にせっせとためこんでは(もともと望楼館はオーム家の館を改造したものなのだ。)、その品々にロットナンバーまでつけている。そしてアパートのほかの住人も、「犬女」とかテレビドラマに執着する老婆とか主人公に劣らず変な人ばかり。ところが、ある日、新しい住人が引っ越してきて望楼館は少しずつ変わり始めるという話。
 望楼館という閉じられた空間。自分だけの世界にひきこもっている住人たち。こういう設定や物語は、モロ好みです。新しい住人によって、それまで閉じられていた空間や止まっていた時間が動き出す時のずれのようなものがよく書けていて面白かった。
 ページ数がある割には、章が短くてスルスル読める。しかしそこが難といえば難。物語やキャラクターの設定の割には、文章が理路整然としすぎる気がした。まあ文体は翻訳だからとやかくはいえないけれど、もう少し余韻が残る文章というか、「ぶれ」が欲しかったよなあ。もうすこし物語の力を感じられるようなストーリーだとよかったのに・・・。
 ただ扉にマリン・ソレスクというルーマニアの詩人の『用心』という詩が引用されているのだけれど、これは最高によかった。日本語に翻訳されているものはないかと探してみたがなかった。残念である。